中国隔離28日間!部屋の中でも、仕事と挑戦は止めません・・・の巻!

中国へ出発する空港の搭乗口でパスポートを持つ佐藤大介

2022年5月11日、中国へ出発しました!目的はもちろん仕事。けれど当時の中国は、入国した瞬間から長い隔離生活が始まる国でした。

杭州の山あいにあるホテルから、第二の故郷・義烏のホテルへ。部屋から一歩も出られなくても、食べて、動いて、学んで、仕事をつくる。自由に外へ出られない28日間を、日付順にたどります!

5月11日(隔離1日目)

中国へ向かう出発前の空港ロビー
中国へ向かう便を待つ空港の駐機場

中国へ出発!搭乗口でパスポートと航空券を持ち、杭州行きの便へ乗りました。案内板には17時発のCA146便。マスク姿でゲートに立つと、これから本当に中国へ入るのだという実感が湧いてきました。

長い説明も、景気のいい目標もありません。不自由を数える前に、まず飛行機へ乗る。現地へ行き、頑張って、いい仕事をする。ここから中国での28日間が始まりました!

5月12日(隔離2日目)

杭州の隔離施設の窓から見えた山と庭
杭州の隔離施設で配膳された温かい食事
杭州の隔離ホテルの浴室に設置した簡易スチームサウナ
簡易スチームサウナの蒸気を浴びる佐藤大介

この日から、杭州で14日間の集中医学観察が始まりました。山奥のリゾートホテルを借り上げた施設で、空気は新鮮。鳥の声が聞こえる爽やかな朝でした。設備は古いものの部屋は広く、改革開放時代の中国を思わせる雰囲気でした。

心配だった食事も、温かいご飯とローカル食堂らしい味で全然オッケー!出前も通販も使えないと聞き、ラーメンやレトルト食品まで持ち込みましたが、これなら社員へのお土産に回せそうでした。ただし隔離中は禁酒。免税枠いっぱいに持ってきた酒も、しばらくお預けでした。

それでも「ととのいたい」という夢は諦めませんでした。持ち込んだ4キロほどの簡易スチームサウナを浴室に設置。よもぎの香りと水蒸気に包まれ、50度ほどでもいい汗が出ました。限られた条件の中で、楽しめる方法を考えました!

5月13日(隔離3日目)

隔離ホテルでトラベルクッカーを使って作った豚骨ラーメン
トラベルクッカーでラーメンを茹でる様子

毎食の油炒めが続いたので、持参したトラベルクッカーで豚骨ラーメンを作りました!茹でる、煮込む、炊飯までできる道具が一つあるだけで、ホテルの食事に変化をつけられました。

消費電力は400ワット程度で、ポータブルバッテリーでも使えるとのこと。レビューでは車中泊の需要も多いようです。隔離中に自分で使って便利さを実感すると、すぐに商品としての可能性が見えてきました。電気製品は競合も少なく、ここにもチャンスがありそうだと感じました!

5月14日(隔離4日目)

隔離中の運動に使ったトレーニングチューブ
隔離ホテルの室内でトレーニングチューブを使う佐藤大介

部屋から一歩も出られないからこそ、体は意識して動かしました。この日の主役はトレーニングチューブ。初めて使いましたが、ダンベル代わりにもストレッチにもなり、狭い部屋でも場所を取りませんでした。

自衛隊体操で体を温め、10分ほどチューブを引くと汗だくになりました。大きな器具を置けないホテルの部屋でも、これなら負荷を変えながら全身を動かせます。外へ出られないことを、動かない理由にはしない。体を動かすと頭もすっきりして、そのあとの仕事も捗りました!

5月15日(隔離5日目)

隔離中に遊んだPCエンジンミニとイース
隔離中に遊んだ初代イースのゲーム画面

日曜日でしたが、どこへも出掛けられませんでした。そこで持ち込んだ「PCエンジンミニ」を起動しました!社会人になってからゲームをしなくなり、最近のスマホゲームも分からない僕にとっては、昔の作品が山ほど入ったこの一台がちょうどよい息抜きになりました。

小学生の頃、「みんなと同じは嫌だ」という理由でスーパーファミコンではなくPCエンジンを選びました。友達とソフトを貸し借りできず、雑誌の記事だけを読んで遊んだ気になっていた作品の一つが初代イース。30年を経て、隔離ホテルでついに遊べました。感無量でした!

5月16日(隔離6日目)

トラベルクッカーで茹でた和風スパゲッティ

配給される3食がすべてライスなので、さすがに少し飽きてきました。この日の昼は和風スパゲッティ!ここでもトラベルクッカーが大活躍し、しっかりアルデンテに仕上がりました。

配給の料理を横へ置き、茹でた麺で気分を変えました。ホテルの一室でも、道具と材料があれば食事は変えられます。ゆっくり麺を味わった昼下がり、足りなかったものは赤ワインだけ。パスタではなく、つい「スパゲッティ」と呼んでしまうあたりは昭和生まれですなぁ。

5月17日(隔離7日目)

隔離ホテルの窓辺で楽しんだ八女茶の新茶
計量機能の付いた茶こしで淹れた八女茶

入国してから雨が続いていましたが、この日は晴れ。窓を全開にして、ホトトギスらしき鳥の声を聞きながら八女茶の新茶を楽しみました。外へ出られなくても、窓から入る風と一杯のお茶で気分は大きく変わりました。

持参した100円ショップの茶こしは、取っ手が外れて軽量スプーンになるアイデア商品でした。お茶を淹れるための道具に、量を測る機能まで収めている。何げないプラスワンが、商品の違いをつくります。隔離生活で使う小さな道具からも、商品開発のヒントを拾いました!

5月18日(隔離8日目)

隔離ホテルからオンラインで中国語の個人レッスンを受ける佐藤大介

コロナで中国へ来られなくなってからの2年間、中国語を忘れないように毎週個人レッスンを続けていました。教科書だけでなく、時事の話題を使った会話が半分ほどあるので、勉強というより実際に話しながら身につける感覚です。

普段は上野の教室で受けていましたが、この日は隔離ホテルからオンラインで参加しました。中国にいる僕が、日本にいる中国人の先生から中国語を教わる。場所が入れ替わっても学びは止まらない。オンライン時代ならではですな!

5月19日(隔離9日目)

隔離ホテルの窓辺で手洗いして干した衣類
隔離ホテルの洗面台で使った袋型の洗濯用品

隔離生活で地味に重要だったのが洗濯です。ホテルに泊まっていても、洗濯、清掃、シーツやタオルの交換といったサービスは一切なし。それなのにタオルは一枚だけ。毎日の衣類は、自分で手洗いするしかありませんでした。

持ってきた「どこでも袋でお洗たく」は、名前こそドラえもんの道具のようですが、脱水がとても楽でした。一方で、使いづらいところも見えてきました。だったら改良して、必要なものをセットにして義烏でつくれないか。生活の不便が、商品を考える入口になりました!

5月20日(隔離10日目)

隔離ホテルの室内でVRゴーグルを装着する佐藤大介
VRゴーグルで体験したスター・ウォーズの画面

この日はVRでスター・ウォーズの世界へ!部屋から一歩も出られなくても、ゴーグルをかければ目の前の景色は一変しました。今どきのVRは、本当にすごいですな。しばし隔離部屋を忘れました。

観たかった映画や動画を、時間を気にせず心ゆくまで楽しめるのは、隔離生活の数少ないメリットでした。ゴーグルの中では、ライトセーバーを手にしたスター・ウォーズの世界が広がっていました。閉じた部屋の中にも、道具一つで新しい楽しみをつくれました!

5月21日(隔離11日目)

隔離ホテルの窓から見える風景を描いた水彩画
隔離中の水彩画に使った水溶性色鉛筆と水筆

気分転換に水彩画を描きました。水溶性の色鉛筆と水筆なら、部屋を汚しにくく、後片付けもほとんどいりません。窓の外に見える山と庭を紙へ移してみました。絵心のなさはご愛嬌!

随分長くいる気がしましたが、この日の計算では達成率31%。まだ24日間あると考えると、さすがに長い。14億人を守るためのダイナミック・ゼロコロナ政策とはいえ、自由に動いてこそ仕事になる商売人には厳しい日々でした。だからこそ、その日にできることを一つずつ進めました。

5月22日(隔離12日目)

義烏の日本人向けレンタルオフィスに用意した打ち合わせスペース
義烏の日本人向けレンタルオフィスの個室

僕の本業は中国輸入代行のイーウーパスポートですが、当時の中国では分公司を含めて現地法人を4社動かしていました。その中で2番目に始めたのが、義烏の日本人向けレンタルオフィスです。

場所は福田市場のすぐ隣、金福源ビル。ここを足場に事業を始め、その後大きく成長して巣立っていった方も何人もいました。隔離ホテルから昔の写真を見て、机と部屋を用意しただけではない、挑戦する人の出発点をつくる仕事だったのだと改めて感じました。

5月23日(隔離13日目)

隔離ホテルの窓辺でコーヒーを持つ佐藤大介
レシピどおりに量ったドリップ用のコーヒー豆
隔離ホテルでレシピどおりにコーヒーを淹れる様子

コーヒーもビジネスも、守・破・離!おいしい一杯を安定して淹れるには、豆や湯量を目分量にせず、まずレシピ通りにやることが大切です。最初から自己流では、同じ味にはなりません。

塾やスクールでも、同じノウハウを学びながら伸びる人と消えていく人がいます。その差は、まず教わった通りに愚直にやったかどうか。結果が出るまで「守」を続け、そのあと自分の判断を加えて「破」「離」へ進む。回り道に見えて、それが一番の近道です。

5月24日(隔離14日目)

隔離中に中国のテレビで視聴したドラマ鋼鉄年代
隔離ホテルのテレビに映る中国ドラマの一場面

中国のネットテレビで、昔さわりだけ見たドラマ「鋼鉄年代」を見つけました。舞台は大躍進時代の鞍山製鉄所。日本人のヒロインが中国人の輪へ入り、一緒に知恵を出して仕事をする姿が描かれています。

中国で働く日本人に大切なのも、まさにそこです。「中方」「日方」と勝手に線を引くのではなく、同じ飯を食べ、知恵を出し、時には一緒に飲んで、同じ目標へ向かう。僕ら一人ひとりの行動は小さくても、その積み重ねが相互理解につながります。仕事を通じて、新しい日中の関係を育てていきたい。

5月25日(隔離15日目)

義烏の隔離ホテルの窓から見えた街の夜景
義烏へ向かう車内から久しぶりの街を見る佐藤大介

いよいよ義烏へ入りました!入国後14日間の隔離を杭州で終えましたが、ここからも目的地ごとの規定が続きました。義烏では、さらに21日間。街へ着いたのに、まだ外には出られませんでした。

義烏は2007年に初めて仕入れへ来てから毎月のように通い、現地法人を立ち上げて収益化するまで約5年間暮らした第二の故郷です。新しい隔離ホテルは、最初に住んだ安アパートの近所でした。窓の下をノーヘルの3人乗り電動スクーターが走る姿を見て、「相変わらず変わってないなぁ」と、懐かしさが一気に込み上げました。

5月26日(隔離16日目)

隔離ホテルで視聴した起業に関するセミナー動画
隔離中に学び直した起業セミナーのDVD

この日はセミナー動画で徹底的にインプットしました。10年前の映像でも、本質を語る内容は色褪せません。新しい情報ばかり追いかけず、自分の原点へ戻って学び直す時間にしました。

時給800円のフリーターだった僕が起業を考えるきっかけになったのが、ゼロから会社をつくり上場まで進めた堀江貴文さんでした。会社名を「ファーストドア」にしたのも、その影響です。もちろん、すべて片思いですが!隔離中の一日を、次の行動につながる学びに変えました。

5月27日(隔離17日目)

義烏の隔離ホテルへ出前で届いたサブウェイ

久しぶりの西側の味!義烏の隔離ホテルでは出前が認められ、サブウェイのサンドイッチへかぶりつき、コーラを飲みました。杭州のホテルでは出前禁止だったので、同じ隔離でも施設によってルールが違いました。

宿泊者のグループチャットには20人ほどがいて、半分は中国人。ほかはトルコ、インド、イスラエル、ギアナ、ロシア、ウクライナと多国籍でした。中華料理に慣れた日本人でも同じ食事が続けば飽きる。食文化が大きく違う人には、なおさら厳しい。出前を認めるあたりは、さすが国際貿易の街・義烏だと感じました!

5月28日(隔離18日目)

Sakura Coffeeから届いたカフェモカを隔離ホテルで飲む佐藤大介
Sakura Coffeeから届いたカフェモカと菓子

義烏で経営しているSakura Coffeeから、出前アプリでカフェモカを届けてもらいました。日本をイメージした内装、袴風の制服、漫画や日経新聞を置いた店です。義烏まで来ているのに店へ行けないので、自分の店から自分の隔離部屋へ注文しました!

18日ぶりのカフェモカは、パーフェクトな味でした。コロナ禍で来店客が減る中でも、店長と社員は機器を整備し、品質を守り、周辺のオフィスへ営業し、出前アプリも使って売上を支えてくれていました。自分がいなくても店が回っている安心と、少しの寂しさ。その両方を一杯のコーヒーから感じました。

5月30日(隔離20日目)

義烏の日本式居酒屋から隔離ホテルへ届いた刺身
隔離ホテルで味わった刺身と海鮮料理

久しぶりの刺身!義烏の福田市場近くで経営する日本式居酒屋から、隔離ホテルへ届けてもらいました。中国にいても、鮮度をきちんと管理した本格的な日本の味が届きました。

結構本格的な店ですが、実際に口へ入れて、味も鮮度管理もしっかりできていることを確認しました。現場へ行けなくても、社員が基準を守って店を動かしてくれている。Sakura Coffeeと同じく、大きな安心と「僕がいなくても回っている」という少しの寂しさを感じました。

5月31日(隔離21日目)

隔離中にHTML化を進めた佐藤大介のメールマガジン

15歳の冬、初めて自宅からインターネットへつないだ時の衝撃は、今も忘れません。当時は電話回線で遅く、画像一枚の表示にも時間がかかる。ホームページは1バイトでも軽くするため、HTMLを直接書いていました。

あれから25年。隔離ホテルで、またHTMLと向き合いました。今回からメールマガジンをHTML化!昔の経験が、形を変えて今の仕事へつながりました。部屋を出られなくても、読者へ情報を届ける仕組みを改善できました。

6月2日(隔離23日目)

陰性のPCR検査結果が並ぶ中国の健康コード画面
隔離ホテルの窓から見た義烏の夜の街

ついに中国の健康コードがグリーンになりました!PCR検査結果や行程情報と連動し、赤は隔離、黄色も外出不可、緑なら同じ省内を移動できる仕組みです。「これで外へ出られる!」と期待して交渉しました。

ところが、家へ帰るならドアを封印し、7日間は出前でも開けてはいけないとの回答。義烏では入国後28日間の強制隔離、その後も7日間の行動制限があると説明され、ホテルに残ることにしました。渡航前から何度もPCR検査を受け、入国後も10回、さらに抗体検査まで全部陰性。それでも、郷に入っては郷に従うしかありません。

6月3日(隔離24日目)

端午節に隔離ホテルで受け取った中国のちまき
端午節に隔離ホテルで味わった中国のちまき

今日から中国は端午節の三連休。隔離ホテルにも、この時期の伝統食であるちまきが届きました。味をつけたもち米を葉で包み、地方によって中へ入れる具も異なるそうです。

端午節が日本へ伝わり、「菖蒲」と「勝負」の語呂合わせから武運を願う端午の節句へ変化したという由来を調べました。日本の文化は中国から渡ったものが多い一方、原型が分からなくなるほど独自に変わっている。目の前のちまき一つから、両国の長い交流が見えてきました。

6月4日(隔離25日目)

隔離ホテルから参加したZoom飲み会の飲み物と食事

この夜は、気心の知れた仲間とZoom飲み会!ホテルの机に飲み物と食事を用意し、パソコンを開きました。同じ部屋に集まることはできなくても、画面越しに顔を見て話すと、長い隔離生活の空気が少し軽くなりました。

隔離終了まで、あと10日。ずっと先に感じていた出口が、ようやく数字として見えてきました。一人で過ごす部屋の中でも、気心の知れた仲間と同じ時間を過ごせる。終わりが見えてきた安堵もあり、久しぶりに気持ちがほぐれました。

6月5日(隔離26日目)

人は石垣、人は城。当時のイーウーパスポートには、中国とタイの現地で働く日本人社員が7人いました。義烏に5人、広州に1人、バンコクに1人。往来が難しいコロナ禍でも、日本企業らしい細かなサポートを届けるため、各地で動いてくれていました。

仕事は目先のお金だけではありません。異国の地で頑張る戦友と同じ釜の飯を食べ、乾杯し、同じ目標へ進むことが最高に楽しい。隔離で会えない時間が長いほど、現場を守る一人ひとりの存在の大きさを感じました。いつも、本当にありがとう!

6月6日(隔離27日目)

ベトナムを思いながら隔離ホテルで食べたフォー
隔離ホテルのトラベルクッカーで作ったフォー

聞けば、ベトナムはすでに開国し、ビザもPCR検査も不要で入国できるとのこと。中国のすぐ隣なのに、渡航の条件はまるで違いました。自由に街を歩き、現地で乾杯できる国が、ますます遠く感じられました。

無性にベトナムで「モッハイバイヨー!」と乾杯したくなり、せめて気分だけでもと昼食をフォーにしました。ところが、一杯食べると余計に行きたくなる。隔離27日目、窓の外へ出られる日を思いながら、次に現地へ行く気持ちを膨らませました!

6月8日(隔離終了)

隔離を終えて義烏国際商貿城の前に立つ佐藤大介
隔離終了日に訪れた義烏国際商貿城の正面
隔離終了後に初めて対面した酒仙の社員と佐藤大介

中国隔離、ついに終了!長いと思っていた28日間も、終わってみるとあっという間でした。ホテルを出て、久しぶりに自分の足で義烏の街へ戻りました。まず会いたかったのは、現地で仕事を守ってきた社員と友人たちです。

この日は、義烏で経営する居酒屋「酒仙」の現場へ初めて足を運びました。オーナーになってから社員とはテレビ会議でしか会えていませんでしたが、直接顔を合わせると熱量がまるで違いました。コロナ禍で飲食店は厳しくても、皆が頑張ってくれている。ようやく同じ場所に立ち、日本の居酒屋を中国で育てる仕事が再び動き出しました!

28日間を終えて

隔離終了日に車窓から見た義烏市内

部屋から一歩も出られない日でも、食事を工夫し、体を動かし、中国語を学び、メールマガジンをHTML化しました。できないことを数えるのではなく、その日にできることを一つずつ動かした28日間でした。

けれど、義烏国際商貿城の前に立ち、社員と同じ場所で顔を合わせると、現地でしか得られないものもはっきりしました。テレビ会議では届かなかった熱量があり、義烏の景色を自分の目で見て、ようやく戻ってきた実感が湧きました。仕事を止めずに動かせても、人と人が直接会う価値はなくなりません。

隔離中、自分の店から届いたコーヒーや刺身を味わうたび、現場を守る社員の存在を感じました。28日間を乗り越えたこと以上に、第二の故郷で社員と再び顔を合わせられたことがうれしかった。義烏での仕事を、ここからもう一度前へ進めます!